居場所はアンビエントに
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居場所は「ここはあなたの居場所ですよ」と掲げた瞬間に、居場所ではなくなってしまうのかもしれないという話。
私が住んでいる町で「子どもの居場所」をテーマにした講演会が開かれていました。そこで登壇された方の言葉が心に刺さったので、書いておきます。といっても私は参加しておらず、また聞きなんですけどね(笑)
その方は、こうおっしゃっていたそうです。
教育の匂いや、支援の匂いがするところに、子どもは行かない
これ、すごくよくわかる。本当におっしゃる通りだなと思いました。
掲げた言葉が、壁になることもある
居場所づくりをしている運営側は、よくこんな表現を使います。
- 自分らしくいられる場所
- 自分がここにいていいと思える場所
そういう場所を目指す姿勢そのものは、素晴らしいことだと思います。ただ、それをわざわざ言葉にして外側に掲げないほうがいいのではないか、と私は考えています。
だって、「ここは自分らしくいられる場所ですよ」と正面から言われたら、どうでしょうか。「いや、自分は今でも十分に自分らしくいられているし、そんなふうに決めつけられるのはちょっと違うな」と感じる人もいるんじゃないでしょうか。よかれと思って掲げた言葉が、入口の前に立ちはだかってしまう。
居場所というのは、もっとアンビエントなものであってほしいなと思うのです。アンビエントというのは、聞こうと思って聞いているわけではないのに、気がついたらそこに流れている音楽のこと。空気みたいなもの、と言い換えてもいい。あるかないかを意識しないくらいが、ちょうどいい。
良い営業担当者は「いいですよ」と言わない
これは、メーカーの営業職を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。
「この製品は本当に素晴らしいですよ!」と直接的な売り込みを繰り返す人よりも、直接的な言葉は使わずに商品の魅力や背景を伝えて、お客さまのほうから「これ、いいね」と言ってもらえる関係を築ける人。そちらのほうが、本当に優秀な営業担当者なのではないでしょうか。
居場所づくりも、これに似ている。運営側が用意した言葉を渡すのではなく、そこで過ごした結果として「ここは落ち着くな」「自分に合っているな」と、その人の中から言葉が生まれてくる。その言葉こそが尊いのだと思います。
同じ「自分らしくいられる場所」という言葉でも、掲げられたものと、自分で見つけたものとでは、まったく別物です。
ひとりひとりの「意味」は、違っていていい
そして、その人が感じた意味が、運営側の思い描いていたものと違っていたとしても、それでいい。感じ方も、表現の仕方も、人それぞれですから。
私は、プログラミングクラブの「CoderDojo」を運営するときも、同じ感覚を大切にしています。参加してくれる子どもたちが、その活動にどんな意味を見出しているか。それはみんな違っていていいし、こちらが用意した意味に揃える必要もない。その子がその子なりの意味を感じてくれているなら、それで十分です。
これからも、支援や教育の匂いをさせず、誰もが自然体でいられるくらいの温度で活動を続けていけたらいいなと思っています。空気のように、と言うと少し格好つけすぎかもしれませんが、そのくらいがちょうどいいのではないかなと。