AIって電卓みたいなものだと思う
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電卓は割り算を教えてくれない。AIも同じで人間の能力を拡張する道具でしかないから、学ぶべきことはそれほど変わらないのではないかという話。
2022年にChatGPTが登場してからというもの、生成AIは驚くべきスピードで進化して、私たちの生活に浸透してきました。それに伴って、あちこちで「教育とAI」というキーワードを目にするようになり、さまざまな意見が飛び交っています。
ただ、「教育とAI」という言葉は範囲が広すぎて、議論のポイントがどこにあるのかを整理しないと、なかなか話が噛み合わないなと感じることがあります。
私は、このテーマは大きく5つの観点に分けられると考えています。
- 授業時間中の活用:AIを教員の代わりとして活用できるか
- 授業時間外の活用:AIを教員の補助として活用できるか(授業準備の効率化など)
- 自習での活用:AIを教材として活用できるか(従来のドリルに代わるものなど)
- 学びの対象としてのAI:AIの仕組みや、その活用方法そのものを何をどう学ぶか
- AIが使えることを前提とした学び:AIが使える社会において、人間は何を学ぶべきか
人によってどこを重視するかは分かれますが、今回は5つ目、「AIが使えることを前提とした社会において何を学ぶべきか」について書いてみます。
電卓は、割り算を教えてくれない
結論から言うと、タイトルの通り、私は「AIは電卓みたいなもの」だと捉えています。
電卓を使えば、桁数の多い計算や複雑な数式も一瞬で解けます。人間が入力を間違えない限り、計算を間違えることもありません。
では、まだ割り算を習っていない小学校2年生の子どもに電卓を渡して、次の問題を解いてもらうとしましょう。
「2メートルのリボンがあります。これを4人で同じ長さに分けると、1人分は何メートルになりますか?」
割り算を知っている人なら、電卓を使うまでもなく「2÷4」だと気づいて、すぐに答えを出せるでしょう。でも、割り算を知らない子どもにとっては、手元に電卓があっても答えを出すことはできません。問題文から「2メートルを4人で分ける」という状況を理解して、それを「2÷4」という式に変換する能力が必要だからです。
電卓はあくまで計算という作業を補助する道具であって、計算の仕組みや概念そのものを理解させてくれるものではない。
これはAIも全く同じです。現在(2026年2月時点)の生成AIは非常に高度になり、間違い(ハルシネーション。もっともらしい嘘を答えてしまう現象)も少なくなりました。それでも、使う側の人間が根本的なことを理解して、正しい指示を与えられなければ、AIから正しい答えを得ることはできないんですよね。
拡張であって、補完ではない
少なくとも現時点において、AIは人間の能力を「拡張」する道具であって、人間がまったく知らないことを魔法のように補完してくれる存在ではない、と私は思っています。
足し算、引き算、掛け算、割り算をしっかり理解している人が電卓を使うからこそ、より速く、より正確に計算ができる。これはあくまで、その人の能力が拡張されている状態です。AIの活用も、この関係と変わらないのではないでしょうか。
「いやいや、AIは人間が知らないことも教えてくれるじゃないか」という声もあるかもしれませんね。確かに、その時に直面した問題によっては、AIが有用な情報を提供してくれることはあります。でも、その有益な情報を引き出せるかどうか、そして出てきた情報の真偽を確かめられるかどうかは、やはり人間の能力次第だと思うのです。
変わるのは「学び方」のほう
そう考えると、たとえ生成AIが当たり前にある社会になったとしても、人間が根本的に学ぶべきこと自体は、それほど変わらないのかもしれません。
ただ、「学び方」については変わる可能性があると考えています。もちろん、科目や単元によって状況は違うでしょうから、一言で「これからはこういう学び方だ」と決めつけることはできません。
このあたりについては、教科書を一ページずつ開きながら「この単元ではどのようにAIを活用できるか?」とコメントを入れていくような、地道な作業が必要になるんじゃないかと漠然と考えています。
学校教育については門外漢の私がこんなことを書くと、「現場の何がわかるんだ」とお叱りを受けるかもしれません。でも、AIを過大評価しすぎて「もう何も学ぶ必要はない」といった極端な意見に流されないようにしたい、というのが私のスタンスです。
日本語入力システムができたからといって、私たちが漢字を学ばなくなったわけではない。道具が便利になっても、それを使いこなすための基礎は変わらないということなのではないかなと思っています。